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桃山志野現代に焼く
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頭と手は 一つの身の内なのに 
墨書き一つとっても 
そう上手くいくもんでない 
頭の中の知識と手の動きとは別もんで 
手は手で癖があり 
頭の中も長年付いた癖がある

墨書というものは 
上手い下手では無い
如何に自分流になるかにある 
命あるが如く印(しる)すものである

墨を指の先にたっぷり付けて書きたいと
常日頃 考えていた 
指より太い筆を買い 
竹の部位を切り落としてみた 
まるで指先にも毛が生えているようで楽しい

筆で字を書く折
太目の道具が良い 
ゆっくりと全身の力を抜いて 
下肚(したはら)に力を込め 
他は軽く軽く 羽のように扱うことである


藤田先生は幼い頃、書家の伯父様のもとに三年間ほど通われたそうです。毎日 墨をすり、そのすり音のリズムが狂うと伯父様に四股を踏んで身体を温めるように言われたそうです。そして書いている肩だけを見るように言われ、その肩の動きを真似ていたそうです。その間、一度も筆を持たせてもらったことが無いという話を聞いた藤田先生のお父様が激怒され伯父様に詰め寄った際に、 「 もう、どんな字でも書ける。 」 と言い、藤田先生に初めて筆を持たせてくれたのだそうです。初めて紙に書いた字に、お父様は 「 一度も筆を持って書いたことが無いのに、この子は天才だ! 」 と、喜んだという微笑ましいエピソードがあったことを藤田先生よりお聞きしたことがございます。
藤田先生の “ 自分流 ” の原点は、ここにあったのかも知れませんね。 


藤田登太郎オフィシャルサイト「桃山志野現代に焼く」

| エッセイ | 11:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
まるで子供だよ

八十歳が近こうなっても焼物の道は完成が無い 
まるで自分を小僧だと思う時がある 
幸せですね

窯に火を入れる前の夜が一番楽しいね
幾つになっても夢があるんだ
計画を立てていても、いざ窯焚きとなると 
窯のほうがなかなか言うことを聞いてくれないんだよ

窯出しの前日なんか早くから目が覚めて眠られやせん
窯の温度が降下するのが、たまらなく待ち遠しいね 
幾つになっても、まるで子供だよ

以前に造られました22個目の大きな窯は只今、乾燥中です。乾燥には三ヶ月から半年ぐらいかかるのだそうです。ここ最近、藤田先生は23個目の窯を造っておられます。今度の窯は小さて志野は焼けないらしいのですが、どのようなお茶碗が生まれてくるのか今から楽しみです。


藤田登太郎オフィシャルサイト「桃山志野現代に焼く」

| エッセイ | 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
偶 ( たまさか )

ある方より、偶 (たまさか) と銘の付きました志野作品の由来につきましてのご質問をいただきました際に藤田先生は 「 広辞苑の世界で意合わせない 」 とおっしゃられ、どう説明をしたら良いかと随分と悩まれたご様子でしたが次のような文章を書かれました。

『 偶 (たまさか) とは技術を覚え その覚えた技術を捨てる世界である 』

若かりし頃は無我夢中で土をこね、技を身に付けたいと考えておった。
ある時が過ぎ 気が付いたら、それだけでは面白く無い気がして偶然の命と向かい合った。
芸術の世界である。
芸術は、技術の鍛錬でも精神的技能の積み重ねでも無い。
技芸の世界で技を捨てることを意味する。
人間以外の力がはたらきかけたものでないと偶の世界には至らない。

焼物を久しく手掛けた人も、生活として成り立っていかぬとなれば家族の理解を得ることも難しく、本来 理想としていた気持ちが失せて自然と辞めてしまった。私は、若い頃から売ることに力を入れて来なかったので、それが今の自分が楽しんで生きる活力となっている。この道は何度 困に遭遇しても再び活力を取り戻せる道であった。「 物の縁も すべからく仏の縁 」 に似てはいるが必ずしも そうとは言えない。もし仏に出合っていたら、きっと他力に入り本来の考えを失っていたと思うことがあったが、理解されることが無いから安心して距離を保てた。芸術とは、その距離が如何に持てるかにあると考える。芸術を技の世界のように感じている人が多いが、伝統では無く技芸の世界でも無い。偶の世界であり、悦びの命である。桃山の焼物の中心的 命の根源はこの偶であると私は思う。桃山を求めるでも無く、近づくでも無い心の持ちよう  『 適 (たまさか) 』 なる心。技術でも無く努力でも無い心の遊行こそが桃山志野が私に入り込んで来た所以であるかも知れない。それは志野に限らず周辺の器たちも同様で、その時代の自分に成り切ることで空気も水も薪も全てが味方になったと。「 ワイルド フリー 」 空間を見ることが、人の心を幸せに導き得ると考えると、アートは  「即興」  以外に生まれることは無い。茶も本来は、これであった。私は、死に至る前の仕事を心ゆくまで味わう盌を作りたい。

※ 文中には偶と適の漢字が使われております。どちらも“たまさか”と読んでおられますが、藤田先生の心情といたしましては適の方が適当だと考えていらしたようです。冒頭にもありましたように、それが 「 広辞苑では意合わせない」 ということなのでしょう。自分の思いが伝わる言葉を選ぶって本当に難しいことですね。



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| エッセイ | 09:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
驚きを発見するアンテナ

毎日 仕事をしていて 
発見が無いようでは駄目です 
慣れすぎては駄目 
日によって違うことに気が付かないと

私たちが生活していく上において正確な情報を迅速に捉えるということは当然必要なことですが、何かを生み出そうとしている人にとりましては、特にその情報収集や選択が重要となってくるようです。藤田先生は、「独自のものを発案するためには毎日一つや二つ驚きがなければいけない。その為には常に既製品で無いアンテナを身体中のあちこちに立てて、その驚きを発見しなければならない」と。
また情報発信がされていても聞く態勢が整っていなければ正確な情報収集に繋がらないので、受け入れる態勢を整えることやその時々の必要に応じた情報を即座に敏感に、且つ的確にキャッチできる観察力を身に付けることも必要だと話してくださいました。



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| エッセイ | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
同じお茶碗はいらない

茶碗を真円に作らないのは 
少し歪んでおる方が飲みやすく 
心が安らぐんだよ

窯焚きのおりに祈ったことは無い
いつも危険だと思う方に自分を賭けての闘いがある 
失敗を恐れていては新しいものは生まれて来ない

「 その目的に合った “ 完璧 ” を目指し、その完璧を求めることによって それに近づくことは出来るが、あえて完璧で無いところを狙うところに究極の完璧がある。なぜなら、完璧に欠けるものの方が より人の心を捉えやすく人は癒されるから。 」 これは藤田先生が轆轤挽き ( 志野茶碗の造形 ) について若い陶芸家の方に語ったものです。窯焚きにつきましても、 「 自分はいつも安全な方でなく、あえて不利な方へ賭けている。 」 とおっしっておられました。「 長年の窯焚き経験で、どういうふうに焚けば成功するだろうということはある程度解っているけれど、たとえ たくさんの志野茶碗が焼けなくても失敗するかもしれないと思う方へ賭けて、その失敗の中に志野になっているお茶碗が一碗でも出来ていれば それで良い 」 と。一窯に300個〜400個入れて焼いても取れるのは一つか二つとおっしゃっておられました藤田先生ですが、わざと確率の低い方へ賭けていらしたのですね。藤田先生がいつも、 「 同じお茶碗はいらない。 」 とおっしゃられておりました意味が少し分かったような気がいたしました。
※ 文中の “賭ける” には藤田先生の勝負するのだという強い想いが込められいるようです。

カテゴリーに 「エッセイ」 を追加いたしております  ■


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| エッセイ | 09:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
エッセイ

私は毎日、万年筆で字を書く。
文章を書くことで自分との対話があり、また自戒でもある。 
仕事の本来の目的が何なのかを常に問い続けている。

藤田先生が若い頃から日記代わりに書いていらっしゃるという文章の一つです。
陶芸のこと、志野焼のこと、抹茶茶碗のこと、芸術のこと、書のことなど、多方面に於いて書き溜めていらしたものが多数(約5000枚ほど)残っております。その存在をご存知の藤田先生のファンの方々からは、整理して何等かの形で残してほしいとのご要望を随分前からいただいておりましたが、なかなかその機会がございませんでした。今も数が多すぎて整理するところまでには至っておりませんので、いつ頃(何才頃)に書かれましたものかも不明です。しかし短い文章の中に藤田先生が桃山時代の志野茶碗を現代焼くため、長年にわたって体験されて来られましたことや、その想いなど興味深いことがたくさん記されております。ファンの方のみならず、ご参考になられる方も多いのではないかと思い、藤田先生の了解のもと ご紹介いたしてまいりたいと思っております。

字の違いに時代を感じます。日々、増え続けております藤田先生の文章は このような形で保管されております。


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| エッセイ | 11:54 | comments(0) | trackbacks(0) |